漆原の思い

作文を楽しもう・書くことは自分を成長させる

★聖教新聞  2016・10・16付

 「作文が苦手」という子どもが少なくありません。しかし、自分の思いを言葉にし、書き残すことは、子ども自身の成長に大きな効果をもたらします。ニッポン放送のラジオ番組「みんなの作文」(聖教新聞社提供)で、コメンテーターを務める児童文学作家の漆原智良さんに、作文のコツや効用などについて寄稿してもらいました。
 
★まとめることで見えるもの

 皆さん、この1カ月の生活を振り返ってみてください。楽しかったこと、つらかったこと、腹が立ったこと……さまざまな出来事が去来してくることでしょう。
 そうした思い出の中で感じたり、考えさせられたりしたことを、文章にまとめておくことによって、その事実は確かなものになっていきます。すると、今まで何げなく過ごした生活の中に、とても大事な意味や価値があることを発見でき、そこから、考えを深めることもできます。「書くこと」は、自分自身を成長させる行為でもあるのです。
 さらに、書いたものを発表し、相手から内容を指摘され、批評されることによって、「そういう考えもあったのか」と、ふと立ち止まって、自分の思い・考えを反省させられることにもなります。
 私は、すでに傘寿を超えました。しかし、絶えず「今、何を書かなければならないか」と考えて行動しています。すると、気力も衰えず、どこからともなく自然に言葉が湧きだしてくるのです。書くことは、生きる活力の一つにもなっています。
 母は、私が小学校へ入学すると毎夜、日記を書かないと床につかせてくれませんでし
た。しかし、絶えず「今、何を書かなければならないか」と考えて行動しています。すると、気力も衰えず、どこからともなく自然に言葉が湧きだしてくるのです。書くことは、生きる活力の一つにもなっています。
 母は、私が小学校へ入学すると毎夜、日記を書かないと床につかせてくれませんでした。いつしか書くことが習慣になってしまいました。
 やがて太平洋戦争。私は東京大空襲に遭い、家族・家財の全てを失い戦災孤児になってしまいました。中学校を中退し、商家奉公に出ました。そこでは毎日、「トモヨシの日記」を友として書き続けました。それが生きていく原動力となりました。
 その後、夜の高校、大学で学び、絶海の孤島・八丈小島(現在無人島)の教師となり、25人の子どもたちと哀歓を共にし、島の現実を一緒に書き続けました。その文集は知事を感動させ、孤島からの全員移住を実現させる契機の一つともなりました。「書く力の偉大さ」を肌で実感しました。

★ラジオ番組「みんなの作文」で
今、私は3人の作家と交互で、5年前から続いている、ニッポン放送「みんなの作文」(聖教新聞社提供。ラジオ、毎週月曜、午後9時〜9時30分。ナビゲーター・新山千春)にレギュラー出演しています。
 日本各地の児童生徒たちから寄せられた作文の「テーマ、構成、表現の素晴らしさ」について語っています。 内容は、課題文のほかに、環境、人権、読書、紀行など多種多様です。放送が終了すると、「生徒の作文が良かった」「考えさせられた」という声が舞い込みます。作文が視聴者の心を揺り動かすのは、「出来事に対する思い」や「さまざまな問題に対する主張」などが、体験を交え、選び抜かれた自分の言葉で表現されているからなのです。
さらに、自分の訴えたいことを表現するために「文章の種類」「構成」が工夫されています。その技法を身に付けさえすれば、誰でもすぐに書くことができます。

★文章の種類と基本を知る
文章の種類と基本には、次のようなものがあります。
 ①感動・体験を書く(生活文)
 ある出来事の何に感動したのかに焦点を絞ります。「発端(書き出し)↓展開(いくつかの障害を乗り越える)↓クライマックス(最高潮)↓結末」と、組み立てをメモしてから書き始めます。
 ②記録・報告を書く
 家族旅行などの紀行文などは、これに当たります。事実を的確に説明し、そこにわずかでも、自分の思いなどを書くといいでしょう。
 ③感想・意見を書く
 読書感想文は、本の内容を紹介し、選択した理由、印象に残った部分、自分の生活との比較例、作品を通して考えさせられたことなどを書きます。
 意見文では、一例の構成として、「動機(なぜその問題を取り上げたか)↓根拠(具体例を挙げる)↓解決の方向性(考えなければならないこと)↓結論(自分はこう思う)」と、まとめます。
 ④童話を書く
 「みんなの作文」には想像力が豊かで、楽しい童話も数多く寄せられます。「想像は創造の入り口」と言われるように、想像の世界を広げることは、新しい世界(創作)を生み出すことに直結します。「時代背景・登場人物(擬人法でも可)・事件(出来事)」の三要素を踏まえて作品が誕生していく過程で、心がときめいてきます。あとは、想像力を駆使し、場面を構成し「描写、説明、会話」を工夫して表現していけばいいのです。
★読者の心を揺さぶる作品に
作文は誰でも書けます。あなたのまわりの出来事を通して得た感動や、強くたくましい信念持った主張を、「小さな書き方のコツ(基本)」というまな板に載せて、言葉を吟味して調理しさえすれば、相手の心を揺さぶりかける作品が誕生します。
 「言葉で表現する」ということは「言葉と生きていく」ということでもあり、それは同時に仲間と共に成長していくことにもつながります。先に述べたように、書いた自分だけでなく、読んだ相手も作品を通して考え、意見を言うことで、互いに触発し合うことになるからです。
 さあ、みなさんも作品を書いて、「みんなの作文」に送ってみませんか。

★うるしばらともよし
 児童文学作家・教育評論家
 1934年東京・浅草生まれ。「どこんじょうひまわりのきーぼうちゃん」(第三文明社)、「ぼくと戦争の物語」(フレーベル館)など多数。第45回児童文化功労賞受賞

自作を語る「何を書かなければならないか」

「青おに」20号(平成28年2月発行)

 ■読んで書いてイキイキ人生
 まほろばの里高畠町に誕生した『ひろすけ童話感想文・感想画作品集』の審査委員、さらに『むくどりの会』『青おにの会』の講師としてに携わってから、早や四半世紀を越えました。
 今号は、『青おに20号』の節目に当たり、いささか面映ゆい気がしますが、私自身の「書くこと・読むこと、自著への思い」などをのべてみたいと思います。
 私は、すでに傘寿を越えました。しかし、絶えず「何を書かなければならないか」と前向きに考えて生活しています。すると、気力も衰えず、どこからともなく自然に言葉が紡ぎ出されてくるのです。
 今年(平成27年)は丁度戦後70周年に当たりました。そこで、昨年は「ぼくと戦争の物語」(フレーベル館刊)を、今年は「ど根性ひまわりのき~ぼうちゃん」(第三文明社刊)をまとめあげました。
 老爺になっても、このような活動ができる源泉は、幼年期の母の「読み聞かせ」と「日記をつけさせられていた習慣」にありました。母の読み聞かせが、内面に沁み込んでいたことが生きる原動力となりました。東京大空襲で家族や家財はすべて失い、戦災孤児という烙印まで押されてしまいました。しかし、本の中の主人公だけは内面で躍動していたのです。「あの『路傍の石』の吾一はぼくより苦労していたではないか。『次郎物語』の次郎は、里子に出されたではないか。それを思ったら……」と、つねに作品の主人公と比較しながら歩んでいると、どこからともなく希望と勇気が湧いてくるのです。
 少年期の日記をつける習慣も役に立ちました。毎日の生活を確かめ反省できるからです。ですから、私のデビュー作は日記でした。NHK懸賞日記ドラマ『近くて遠い島』(市原悦子主演)が一等入選し、放送記念祭賞をいただいたことが、さらに自作への自信と意欲を高めていってくれました。
 その後、浜田広介先生、福田清人先生に推薦されて作家の道へと飛び込みました。
 今でも各地の講演会や、テレビ・ラジオなどに出演すると、「読むこと書くことの意義について」問われることがあります。その折、ひと言で回答するときは、「読むことについて」は、→すぐれた作品を読むことによって、ふとした経験、ふとした想像のなかに託された人間の哀歓、願望などを感じとることができます。登場人物に共感したり、反発したりすることによって、感性の花が咲くのです。感性が育まれると、人の心を理解し、温かく包み込むことができます。相手の哀しみや苦しみが理解できれば、決して相手を痛めつけたり、いじめたり、暴言を吐いたりすることはできなくなってくるでしょう。読書は、間接体験の幅を大きく広めてくれます。
「書くことについて」は、→自分自身が体験したことがらや出来事、また想像したことを通して、感じたり、考えたりしたことを、ひとまとまりの文章にまとめることによって、自分が今まで何気なく過ごしてきた生活の中に、とても大事な意味や、価値があることを発見でき、そこからさらに考えを深めることができるのです。さらに、作品の内容を指摘・批判されることによって自分自身を向上させることができると、考えているのです。
■書をかなければならないか、題材を選ぶ
 自著百余作の中から「なぜ、この題材を選んだのか」を、最近作の児童文学作品を通して紹介しましょう。
★『東京の赤い雪』(フレー―ベル館)=太平洋戦争中福島県に疎開しました。農作業はできない、いじめられる、家族は大空襲で戦災死。当時5年生だった少年の揺れ動く心情をまとめあげました。舞台化され次世代に「平和の尊さ」を語り継いでいます(早見優、池谷幸雄ら出演)。
★『クロシオ小島のヤギをすくえ』(国土社)=私の赴任した八丈小島が過疎化となり、全員移住を余儀なくされました。するとヤギが繁殖。そのヤギを助けるために立ち上がった人々の姿を物語としてまとめました。
★『つらかんべえ』(今人舎)=3・11東日本大震災。涙を流し浜辺にたたずむ少年。私自身の3・10大空襲の場面とオーバーラップ。「力強く生きるんだよ」と激励を込め、戦災孤児の私が、人々からもらって触発された「温かく優しい言葉」をエッセイ風にまとめあげました。
★『スワン』(アリス館)=京都在住で、学習障害を抱えながらも、それにめげずに未来を見つめる少女岡本美香さん。中学校時代には「スワン」といわれ、いじめられる。しかし、彼女の目標「絵本作家をめざしてけなげに生きる姿」に感動した私は、その半生記を取材しノンフィクションとして送り出しました。
★『おばあちゃんことばのまほう』(アリス館)=母が子どもに「何々〜〜〜しなさい」と、一日百五回も言っていました。すると祖母が、母に魔法の言葉をかけてくれたのです。つまり「事実を客観的に伝える」のです。言葉一語で子どもは優しく変わることを、絵本にして訴えてみました。
★『ぼくと戦争の物語』(フレーベル館)=太平洋戦争が激化し、連合軍の東京への大空襲が始まりました。当時5年生だった心平は福島県に疎開します。軍国主義は学童の意識までも奪っていきました。国民学校では連日農作業と軍事教練。イナゴ捕り、馬糞拾い、縄無い作業……耐えられなくなった心平は父に手紙を書く。だが、家族は東京大空襲で行方不明。戦時中の少年の目を通して、当時の生活を赤裸々に描きました。戦争への怒り、平和への祈りを込めてまとめ上げた作品です。今年の緑陰図書。第一回児童ペン大賞受賞作。
★『ど根性ひまわりのき~ぼうちゃん』(第三文明社)=東日本被災地を訪れました。未だ復興どころか復旧さえ遠い状態。ある会の会長さんが「今は何もいらない。大震災を忘れないでほしい、風化させないでほしい」との言葉。被災地石巻の瓦礫を押しのけて芽を出した一本のヒマワリ。「そのタネを全国に広めて、被災地を思い出し支援しよう」。そんな思いを込めて取材しまとめあげた絵本です。

 私たちの身近なところには、書き残しておきたいことが山積しています。これからも、みなさんと一緒に書き続けてまいりましょう。

第一回児童ペン賞大賞・「ぼくと戦争の物語」を書いて

公明新聞 H28・2・5付

  日本児童ペンクラブは、「平和社会の確立は、児童文化の振興によるとの原則に立って活動する」との理念のもと、川端康成、大宅壮一らが発案、両氏自らが顧問になって1971年に発足した会である。
 同会は、この40数年、子ども対象の活動を行ってきたが、今年度より「児童ペン賞」が創設されることになった。「次世代を背負う子どもたちに残したい優れた作品が対象」ということで、拙書『ぼくと戦争の物語』(フレーベル館刊)が、第1回の児童ペン大賞受賞作に選ばれた、と嬉しい知らせが届いた。
 私は絶えず「今、何を書かなければならないか。そのためにどう書くか」ということを模索している。そこで、一昨年、「戦後70年を前に、戦災体験を生き証人として書き残しておこう」と決めた。「小学校中学年生から読めるようにと、主人公を4年生とし、太平洋戦争時代の生活を、平易な文章でルビーをつけ、物語風にまとめたい」と出版社に提案。手元にある「東京大空襲などの資料」を紐解き,12万人余の戦争孤児の1人として、戦中生活の一端を掘り起こしたのである。
 作品の舞台は東京と福島。時代背景は太平洋戦争末期。日本は開戦直後から、物資や食糧不足に陥り、本土は連日のように空爆を受け、日毎に奈落の底へと落ちていく。学童は、ひたすら軍事教練を強いられていく。鉄製のベーゴマなどの遊び道具も没収される。やがて学童は疎開を余儀なくされる。
 疎開先の学校では、班単位による農作業が待っていた。食糧不足を補うイナゴ捕り、農家を手伝う縄ない作業、馬糞拾い、材木運び……都会育ちの心平は、いつも規定量に達せず、仲間にいじめられる。東京へ戻りたいと父に手紙を書くが、家族は東京大空襲で行方不明。やがて敗戦。両親と家屋を失った心平は呆然と焼け跡にたたずんだ、という内容。
 本書は、私の実体験をもとに、それを主人公の心平に重ね合わせたものである。
 疎開中、班長にいじめられ、殴られても逆らえなかったのは、「班長の命令は、級長の命令、級長の命令は天皇の命令」と教えられ、それに反すると「非国民」として敵視されるからである。軍国主義の末端は、心根の優しい教師や、学級長までも冷酷な人間に変貌させていくのである。そうした事実を、子どもの目線でとらえ、次世代に語り継いでいってもらいたい、という願いを込めた。
 戦争というのは、ある日突発的に起こるものではなく、周囲の空気が、怪しげに徐々に変化していくものであることを、私は子ども心に肌で感じることができたのだった。
 昭和20年8月15日。日本の敗戦によって太平洋戦争は終結したが、何万という戦災孤児にとっては、その日こそは「己の生き方との苦難の闘いの日々の出発点」でもあったのだ。そのことを忘れてはならない。
 戦争の悲惨さ、残酷さ、むなしさ、無意味さを次世代に伝えたい、理解してもらいたい。さらに、命の尊厳さと、平和で明るい家庭生活が営める幸福について考えてもらいたい。そんな思いを込めて書きあげた一冊である。


 
 






 
 

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