漆原の思い

題材の奥に潜む本質をとらえよう

 雑誌『児童文芸』2017年10・11月号

 
■表面的には明るい表情の奥で
 現代は、学校も家庭も、表面上は極めて明るい表情をしているように見える。しかし、子どもたちの人生の深淵のよどみを覗き込んでみると、心身共に満たされない悩みを抱えていることが映し出されてくるのである。
 子どもたちの周囲にはさまざまな問題が山積している。いじめ、虐待、金銭脅迫、誘拐、引きこもり,校内安全、交通事故、災害、学習障害、花粉症、アトピー、スマホ……など、見まわしたら限りがない。このような子どもたちの切実な問題を見過ごしてはならない。
 私たちは『今、何を書かなければならないか。そのためにどう書くか』と、目を光らせていなければならない。それが児童文学者の使命でもあると思う。リアリズム手法良し、ファンタジー手法良し。ただ、その場合でも「ファンタジーが架空の世界であっても、その世界には、その世界としての現実があり、問題があることを抑えておかなければならない」ということだけは念頭に置いておかなければならない。
 私ごとで恐縮だが、高度成長期の昭和36年から〜バブルが崩壊した平成18年までの約半世紀、教育界に身を投じ、小・中学校生、大学生と生活を共にしてきた。この間、教育界も時代の流れに翻弄され大きく揺れ動いてきた。
 時代の流れに即応するかのように偏差値による輪切り教育の台頭、ゆとり教育の登場、再び学力至上主義、小・中一貫教育の開始、道徳の教科導入など数えあげれば切りがない。今日の社会は、戦前は「十年ひと昔」と言われたが、現代は「三年ひと昔」と言われるほどの速さで変貌する。例えば、昭和末期、全国的に「校内暴力」が発生する。三年後「葬式ごっこ、いじめ事件を顕著とする自殺事件」。それが沈静化すると「陰湿ないじめの発生」……と、三年周期で問題が次つぎと湧き起こってきたのであった。
 一方家庭においても、高度成長期には「三高」(高学歴・高収入・高身長)がもてはやされるという時期があった。バブルが崩壊するとその意識は「三平」(学歴・収入・容姿が平均ならばよい)と変化、世相は安定志向へと変化していく。これらはすべて外見的要素での判断にすぎない。私は「子どもたちには『三さ』の心を育てたい」と願っている。子どもの内面から沸騰してきた「やさしさ・ゆたかさ・たくましさ」が今日求められるべきなのである。もし、「やさしさ」という言葉に誤解を招くとするならば、「優しさとは、相手の生命を尊び,慈しむ心」として置き換えてもよい。
 子どもたちの背景にあるもの、現代の状況を踏まえて、子どもたちの本質に迫らなければモノを書くことができない。なぜなら「魂のこもった本を誕生させる」という最先端で、最も要求される作業には柔らかな精神と、震えるような感受性が必要だと考えるからだ。

■「心と命を守る5つの童話」の誕生
 具体例の一つ。前述の点を踏まえた上で、子どもたちの悩みを列挙し「企画書作成」に取り組む。編集長に会って思いを伝える。すると「社長が会いたいという」ことになった。
「子どもたちはさまざまな悩みを抱えています。たんなる表面的な解決書で終わらせることなく、悩みを題材として物語化し、作品ごとに解説を数ページつけたらどうでしょう」
 N社長は、快諾してくださった上に「子どもの問題を削るのはもったいない。一つでも多く取り上げ、箱入れで2冊にしましょう」と、賛同してくださったのだ。
 そこで、子どもの悩みの題材を選択し、十項目を七人の作者(私も含め)で執筆することになった。
・いじめ、学習障害(漆原智良)・交通安全、不審者(高森優芽)・いのち、アトピー(井嶋敦子)・花粉症(かとうけいこ)・虐待(平松詩子)・体格差(季巳明代)・校内安全(あだちわかな)。
 それぞれの作者の専門もしくは得意とする分野から、題材を選んでもらうことにした。さらに、子どもたちが、そっと扉を開けて気楽に入っていくことができる物語風の世界であること。「作品を読んで安心できるもの、勇気を与えられるもの、つまり、心の救急車になれる作品」。そうした内容でまとめたいと意思統一を図った。子どもたちの悩みの積み重ねが、今日の生命感覚の乏しさ、存在感の希薄さに直結していると考えたからである。
 子どもたちを取り巻く悩みの問題点が、現代どのように進行しているか、その本質を探り当て、物語として差し出さなければならない。私は「いじめ」と「学習障害」を担当することになった。
 「いじめ」の本質は根深い。かつてのガキ大将的いじめは影を潜め、高度成長期の暴力的いじめから、次第に組織的陰湿的ないじめへと変化している。学力至上主義がもてはやされると、そこから、はみ出された子どもたちが何かにすがりつこうとする。校内暴力が発生すると、学校側はそれを指導する。沈静化したようにみえるが、その奥では陰湿化、登校拒否などの小波が起こり始める。その一例として、表面には映らない組織が隠微に動き回る、オモテ→ウラ→特攻隊長→特攻→パシリ(走り)の組織の中で、恐喝、ゆすりが始まり、そこから登校拒否、引きこもりなどが起こったという現実もあるのだ。
 私は、その事実を踏まえたうえで、いじめられ、「金を貸せ」といわれた少年を主人公に、いじめの世界へと踏み込んでいったのである。
 「学習障害」=文化省の調査によると「現在通常学級に在籍している発達障害の可能性のある児童・生徒は6・5パーセントの割合で在籍している」という。一桁の掛算が出来なくても絵が上手な少女を主人公に「学習障害を抱えていてもすぐれた才能を持っている子もいるのだ。障害も=個性である」という観点からまとめあげた。
 こうして、ほかの作家の先生方も、それぞれの題材を真剣に調査し、深く踏み込んでまとめあげ、完成したのが、『ぼくたちの勇気』『さよなら、ぼくのひみつ』(漆原智良編著・国土社・2014年刊)なのである。
 余談になるが、その後本書が注目され、「交通安全」は副読本として使用され、「虐待」は、一部修正して電子書籍化された。また拙作「学習障害」のモデルとなった少女は、今や画家として、個展開催や講演を依頼され活躍している。

■作家は3・11と、どう向き合い活動するか
 六年前、3・11東日本大震災が発生した時、児童文学作家は、「子どもの前に、想像力を駆使して、どんな言葉を差し出さなければならないか」と、誰しもが考えた。言葉に関わって生きていく人間の営みの中で、想像力は最も根源的な力の一つであると思うからだ。想像力を働かせることによって自己と他者を繋ぎ、お互いの生きる世界を豊かにする。
 テレビの画面に、親を失った少年が映り、津波の跡地の瓦礫を押しのけている姿に愕然とし言葉を失った。
(あの子たちを泣かしてはいけない。作家として何ができるだろうか?)
 年こそ異なるが(昭和二十年)3・10東京大空襲で両親と家財のすべてを失い、瓦礫を押しのけていた自分の姿とがオーバーラップしてきたのである。
「戦後、戦災孤児として突き放されてきた、何らの支援も無かった。が、今日まで歩んで来られたのは、周囲の人々の支えと、温かい言葉、勇気ある言動に包まれたからである」
 東日本大震災当時、喜寿になっていた私には現地へ飛び、瓦礫を片づける力はなかった。しかし、子どもに向かって、「モノを書き、語る人間として」黙ってはいられなかった。
 戦後戦災孤児として。時には「浮浪児」として罵られたこと。しかし、多くの優しい人々から励ましてもらったこと。それらの言葉をまとめ、大震災で打ちひしがれている子どもたちに贈りたい旨を出版社に打診した。即OKとなり、出版されたのが『つらかんべぇ』(今人舎)である。同出版社では、体育館に避難している子どもたち全員が文筆で同時に楽しめる楽しい童話集も提案してくれた。作家仲間も協力してくれた。やがて、私の編著でアンソロジー『白いガーベラ』(内田麟太郎・漆原智良・高橋秀雄・最上一平・金治直美・高橋うらら・光丘真理・深山さくら共著)が誕生する。
 津波の被害はまぬかれたが、放射能汚染の影響により、疎開を余儀なくされている子どもたちの心情を察し、郡山、山形、宮城の避難所や旅館などを訪れては語りかけた。
二年後、東北の首長と対談したとき「今、一番欲しいものは品物ではなく被災地を忘れない心です」と聞かされた。
 そこで、石巻の瓦礫を押しのけて芽を出し、花を咲かせたヒマワリを題材に、小学生の女の子を主人公に『ど根性ひまわりのきーぼうちゃん』(第三文明社刊)を執筆。同署を手にして「全国にひまわりのタネを播き、花を咲かせる活動」を始めたのである。今年は七世の花が全国に咲きほこった。この活動は、その後、熊本、鳥取……などの被災地支援へも繋がり支援の輪を広めていった。
 この間、津波で家族七人を亡くされたが、ただ一人学校に残って助かった息子のために、バッティングセンターを作った千葉清英さん(乳酸業)にお会いした。父の「夢は見るものでなく叶えるもの」。子の「甘えずに前向きに生きなければならない」の言動に胸を揺さぶられた。そこで震災の裏にあった事実として書き残さなければと提案した。『天国にとどけ! ホームラン』(小学館刊)は、こうして誕生した。さらに、小久保全日本監督が帯まで書いてくださった。
 
 自分自身の小さな体験を通して「現代の子ども」をとらえてきたが、私は絶えず「子どもを書くことは地味な職業」ではあるが、それは同時に活動することによって「社会を変革させる力」さえ蓄えているのだ、と信じている。
 過去の「子どもの書いた孤島の作文」が、知事の心を動かし、全員移住の一端の力になった。拙書『ふるさとはヤギの島に』(あかね書房)を読んで、国会議員が初めて小島に渡り補助金を出してくれた、などがそれを証明している。
 いまや、いじめ法案をはじめ、さまざまな法案が突如成立し、急速に変貌する社会の中で、子どもたちがどのようにして、社会と関わっているだろうか。書こうとする題材の奥の本質を探り当てたうえで、言葉を紡ぎ出さなければ本物の児童文学作品は生まれてこない。


一粒のひまわりのタネから

『潮』2017年7月号。巻頭言「波音」

 3・11(2011年)東日本大震災。津波で親を失い、自宅跡地の瓦礫を取り除いている少年の姿がテレビに映し出された。
 年こそ異なるが、3・10(1945年)東京大空襲で家族・家屋を全て失い、焼け跡に佇んだ自分の姿とがオーバーラップされてきた。
「この子たちを泣かしてはいけない。でも、喜寿を過ぎた自分に、何ができるだろうか?」と、考え込む。「そうだ。空襲で一夜にして奈落の底に落とされ、戦災孤児という烙印を押された私が、こうしてペンを握れるようになったのは、周囲の人々の優しさ、温かさ、希望の言動に包まれたからではないだろうか。そのことをまとめて、被災地を勇気づけよう」と、立ち上がった。もし、優しさという言葉が誤解を招くとするならば、「相手の生命を尊重し、愛する心」とでも置き換えてみよう。
 私の内面には、幼いころ母が読んでくれた本が「心の奥に貴重な財産」として沈殿していた。そこで、終戦直後の孤児時代、商家奉公時代、夜間高校・大学時代、無医島での教師時代の体験を通して、多くの人々に出会い力強い励ましをもらった。それをエッセイ風にまとめ『つらかんべぇ』(今人舎)という本にして、五ヶ月後に避難所に届けることが出来た。表題の「つらかんべぇ」は、電気店で働いていた際に、主人が発した思いやりのある言動。
 夕方、店の前に同級生が立ち止まる。すると主人が「漆原君、つらかんべぇ、奥に入って和夫と遊んでいたらよかんべぇ」とかばってくれた。主人の言葉は内奥に染み込んでいった。私は、和夫さんを子守りし、物語を聞かせた。余談だが、横松和夫は、のちに「立松和平」のペンネームで作家として自立する。
 私は、被災した各地へ飛んで行き「挫けず、強く歩んでいこう」と、体験を通して励ます。
 震災から三年後、某首長にお逢いした時、「いま、一番欲しいのは物品よりも、被災地を忘れないでほしいという心だ」と聞かされる。
そんな折、「被災地石巻の看板の下の瓦礫を押しのけてひまわりが芽を出した、その花を咲かせる活動が広まっている」ということを耳にした。「それだ!」。私は、編集者と現地へ向かい取材を重ね、絵本『ど根性ひまわりのき〜ぼうちゃん』(第三文明社)を上梓した。それを機に「ひまわりの花を咲かせ、被災地を思い起こし、風化させない活動」を進めている。
 その活動を通して、乳酸業の千葉清英氏と知り合う。津波で家族七人を亡くされた氏が、学校に居て一人助かった息子のために、アイディア商品を開発。「夢は叶えるもの」という信念のもと、気仙沼にバッティングセンターを作ったのである。被災の苦しみを乗り越え前向きに生きる姿に感動し、次に『天国にとどけ!ホームラン』(小学館)を送り出した。
 その後も熊本、鳥取など被害は続いた。想像しただけで胸が痛む。今一度「自分に何ができるだろうか」考えてみてほしい。まずは「ど根性ひまわりのたね」を一粒まき、花を咲かせることからでも、始めてみてはどうだろうか?






作文を楽しもう・書くことは自分を成長させる

★聖教新聞  2016・10・16付

 「作文が苦手」という子どもが少なくありません。しかし、自分の思いを言葉にし、書き残すことは、子ども自身の成長に大きな効果をもたらします。ニッポン放送のラジオ番組「みんなの作文」(聖教新聞社提供)で、コメンテーターを務める児童文学作家の漆原智良さんに、作文のコツや効用などについて寄稿してもらいました。
 
★まとめることで見えるもの

 皆さん、この1カ月の生活を振り返ってみてください。楽しかったこと、つらかったこと、腹が立ったこと……さまざまな出来事が去来してくることでしょう。
 そうした思い出の中で感じたり、考えさせられたりしたことを、文章にまとめておくことによって、その事実は確かなものになっていきます。すると、今まで何げなく過ごした生活の中に、とても大事な意味や価値があることを発見でき、そこから、考えを深めることもできます。「書くこと」は、自分自身を成長させる行為でもあるのです。
 さらに、書いたものを発表し、相手から内容を指摘され、批評されることによって、「そういう考えもあったのか」と、ふと立ち止まって、自分の思い・考えを反省させられることにもなります。
 私は、すでに傘寿を超えました。しかし、絶えず「今、何を書かなければならないか」と考えて行動しています。すると、気力も衰えず、どこからともなく自然に言葉が湧きだしてくるのです。書くことは、生きる活力の一つにもなっています。
 母は、私が小学校へ入学すると毎夜、日記を書かないと床につかせてくれませんでし
た。しかし、絶えず「今、何を書かなければならないか」と考えて行動しています。すると、気力も衰えず、どこからともなく自然に言葉が湧きだしてくるのです。書くことは、生きる活力の一つにもなっています。
 母は、私が小学校へ入学すると毎夜、日記を書かないと床につかせてくれませんでした。いつしか書くことが習慣になってしまいました。
 やがて太平洋戦争。私は東京大空襲に遭い、家族・家財の全てを失い戦災孤児になってしまいました。中学校を中退し、商家奉公に出ました。そこでは毎日、「トモヨシの日記」を友として書き続けました。それが生きていく原動力となりました。
 その後、夜の高校、大学で学び、絶海の孤島・八丈小島(現在無人島)の教師となり、25人の子どもたちと哀歓を共にし、島の現実を一緒に書き続けました。その文集は知事を感動させ、孤島からの全員移住を実現させる契機の一つともなりました。「書く力の偉大さ」を肌で実感しました。

★ラジオ番組「みんなの作文」で
今、私は3人の作家と交互で、5年前から続いている、ニッポン放送「みんなの作文」(聖教新聞社提供。ラジオ、毎週月曜、午後9時〜9時30分。ナビゲーター・新山千春)にレギュラー出演しています。
 日本各地の児童生徒たちから寄せられた作文の「テーマ、構成、表現の素晴らしさ」について語っています。 内容は、課題文のほかに、環境、人権、読書、紀行など多種多様です。放送が終了すると、「生徒の作文が良かった」「考えさせられた」という声が舞い込みます。作文が視聴者の心を揺り動かすのは、「出来事に対する思い」や「さまざまな問題に対する主張」などが、体験を交え、選び抜かれた自分の言葉で表現されているからなのです。
さらに、自分の訴えたいことを表現するために「文章の種類」「構成」が工夫されています。その技法を身に付けさえすれば、誰でもすぐに書くことができます。

★文章の種類と基本を知る
文章の種類と基本には、次のようなものがあります。
 ①感動・体験を書く(生活文)
 ある出来事の何に感動したのかに焦点を絞ります。「発端(書き出し)↓展開(いくつかの障害を乗り越える)↓クライマックス(最高潮)↓結末」と、組み立てをメモしてから書き始めます。
 ②記録・報告を書く
 家族旅行などの紀行文などは、これに当たります。事実を的確に説明し、そこにわずかでも、自分の思いなどを書くといいでしょう。
 ③感想・意見を書く
 読書感想文は、本の内容を紹介し、選択した理由、印象に残った部分、自分の生活との比較例、作品を通して考えさせられたことなどを書きます。
 意見文では、一例の構成として、「動機(なぜその問題を取り上げたか)↓根拠(具体例を挙げる)↓解決の方向性(考えなければならないこと)↓結論(自分はこう思う)」と、まとめます。
 ④童話を書く
 「みんなの作文」には想像力が豊かで、楽しい童話も数多く寄せられます。「想像は創造の入り口」と言われるように、想像の世界を広げることは、新しい世界(創作)を生み出すことに直結します。「時代背景・登場人物(擬人法でも可)・事件(出来事)」の三要素を踏まえて作品が誕生していく過程で、心がときめいてきます。あとは、想像力を駆使し、場面を構成し「描写、説明、会話」を工夫して表現していけばいいのです。
★読者の心を揺さぶる作品に
作文は誰でも書けます。あなたのまわりの出来事を通して得た感動や、強くたくましい信念持った主張を、「小さな書き方のコツ(基本)」というまな板に載せて、言葉を吟味して調理しさえすれば、相手の心を揺さぶりかける作品が誕生します。
 「言葉で表現する」ということは「言葉と生きていく」ということでもあり、それは同時に仲間と共に成長していくことにもつながります。先に述べたように、書いた自分だけでなく、読んだ相手も作品を通して考え、意見を言うことで、互いに触発し合うことになるからです。
 さあ、みなさんも作品を書いて、「みんなの作文」に送ってみませんか。

★うるしばらともよし
 児童文学作家・教育評論家
 1934年東京・浅草生まれ。「どこんじょうひまわりのきーぼうちゃん」(第三文明社)、「ぼくと戦争の物語」(フレーベル館)など多数。第45回児童文化功労賞受賞

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